2019年3月、東日本大震災から8年を経て、ようやく旧JR山田線の釜石~宮古間の運転が再開されました。JR東日本から三陸鉄道に移管され、「三陸鉄道リアス線」の一部として新たにスタートした同区間に乗車してきましたので、乗車記をお届けします。
三陸鉄道 リアス線とは?
三陸鉄道リアス線は、岩手県の盛(さかり)駅と久慈(くじ)駅を結ぶ第三セクター鉄道路線です。
2019年3月までは、
- 北リアス線: 宮古~久慈
- 南リアス線: 盛~釜石
の2路線に分かれていました。
北リアス線と南リアス線の間は、JR山田線(盛岡~宮古~釜石)が結んでいたのですが、東日本大震災で被災。その後、JR東日本が自社で宮古~釜石間を復旧、運行に必要な車両の無償譲渡、被災していない区間のレールや枕木の交換、運行再開後の協力金30億円の支払いなどを条件に、同区間を三陸鉄道に移管し、同区間を加えた盛~釜石~宮古~久慈が、新生「三陸鉄道 リアス線」として、2019年3月に開業したのでした。
盛~久慈の総延長は約163km。第三セクター鉄道としては日本最長の路線となりました。
詳しくは、以下の記事をご覧ください。
震災から8年を経てようやく運転再開した釜石~宮古間
2011年3月に発生した東日本大震災では、三陸地方の太平洋岸を走る鉄道が軒並み被災しました。北から順に、JR八戸線、三陸鉄道北リアス線(当時)、JR山田線(当時)、三陸鉄道南リアス線(当時)、大船渡線、気仙沼線、石巻線、仙石線となります。
このうち、旧JR山田線の釜石~宮古間は最も復旧が遅れ、2019年3月にようやく運転を再開しました。前述のとおり、運転再開と同時に、釜石~宮古間は三陸鉄道に譲渡され、三陸鉄道リアス線(盛~久慈)の一部となりました。
三陸鉄道リアス線の釜石~宮古間は、三陸海岸に沿って線路が敷かれています。上の地図のように、三陸に特有のリアス式海岸が続き、小さな湾や入り江が連続する地形になっています。
この地形が災いして、東日本大震災時には津波の高さが入り江や湾で高まり、鉄道施設にも大きな被害が出てしまいました。
三陸鉄道リアス線は、釜石~宮古間の全線開業が1939年なのに対して、宮古~久慈(旧北リアス線)と盛~釜石(旧南リアス線)は1970年代~80年代の開業です。高架やトンネルが多い旧北リアス線、旧南リアス線区間に対して、海岸のすぐ近くの平地に線路が敷かれていた釜石~宮古間の被害が相対的に大きかったのですが、開業時期の違いも一つの要因なのでしょう。
三陸鉄道リアス線 乗車記(釜石→鵜住居)
新花巻から快速はまゆり1号に乗車して、釜石駅にやってきました。
乗り換え時間は8分しかありませんが、この間に、いったんJRの改札を出て、三陸鉄道の窓口へ。「片道途中下車きっぷ」(釜石→久慈)を購入しました。
「片道途中下車きっぷ」は、同じ区間の乗車券と同じ金額ですが、ふつうの乗車券ではできない途中下車ができるきっぷです。逆戻りはできません。区間によっては2日間有効ですので、途中で宿泊することもできます。
「片道途中下車きっぷ」を購入後、急いで三陸鉄道のホームへ。盛からやってきた列車がすでに入線して、ホームで待っていた乗客が乗り込もうとしているところでした。
何とか座席を確保してほっとしていると、10時58分、釜石駅を発車しました。
たった1両の気動車ですが、車内はほどよく乗っています。あいにくの雨模様ですが、夏休み期間中ということもあってか、旅行者が目立ちました。
乗車した車両は、36-700形という新しい気動車です。車両番号は36-716。2019年3月のリアス線開業に向けて増備された、ピカピカの新車です。
ちなみに、36-700形の最初の3両(36-701~703)は、東日本大震災で被災し、廃車になった3両の代替として、クウェート政府からの支援によって製造されたものです。
釜石を出てしばらくすると右手に海が見えてきます。両石(りょういし)湾です。両石湾が見えてくると、まもなく両石駅です。(窓に雨粒がついていて写真が見にくいですが、ご了承ください)
次の鵜住居(うのすまい)駅では、列車行き違いのために3分停車。行き違いの列車は、36-R形というレトロ調の車両でした。普通列車として運転されているようです。
鵜住居駅は、津波で甚大な被害を受け、ホームや駅舎だけでなく、路盤や軌道から整備しなおしています。雨に濡れたホームやレールが新しく、まるで新駅のようでした。
鵜住居駅の近くには、「釜石鵜住居復興スタジアム」があります。ラグビーワールドカップ2019日本大会に合わせて、今回、唯一新設されたスタジアムです。列車の中からも、メインスタジアムを見ることができました。
ラグビーワールドカップ2019では、
- 9月25日(水) フィジー 対 ウルグアイ
- 10月13日(日) ナミビア 対 カナダ
の2試合が予定されています。
ラグビーW杯で釜石が盛り上がり、復興の後押しとなることを期待したいですね。
三陸鉄道リアス線 乗車記(鵜住居→浪板海岸)
11時18分、大槌(おおつち)駅に到着。かつては、2面2線のホームが跨線橋で結ばれていた駅でしたが、津波で跨線橋の骨組みだけを残して倒壊。駅の両側にある橋梁も被害を受けてしまいました。
新たに建設された大槌駅は1面2線の島式ホームに。鵜住居駅と同様、こちらも真新しいホームや軌道が、復興からの新たなスタートを感じさせます。
大槌湾に面したところでは、更地に重機がたくさん並んで作業しているという、津波被害を受けた沿岸部で見られる光景が続きます。震災から8年、鉄道は復旧しましたが、津波の被害を受けた土地を復興させるのは容易ではないようです。
11時24分、吉里吉里(きりきり)駅に到着。珍しい駅名ですが、大槌町吉里吉里という、れっきとした地名です。
吉里吉里駅は、船越湾に面していますが、やや内陸部に位置するためか、津波の被害を受けることはありませんでした。木造駅舎があったのですが、老朽化のために取り壊され、リアス線の復旧開業に合わせて新築されました。
吉里吉里の集落を抜けると、車窓の右側には船越湾が広がります。次の浪板海岸駅からは、すぐに浜辺に出ることができます。
海の近くに駅がありますので、やはり、この浪板海岸駅も津波の被害を受けました。
上の写真からもわかるように、この付近は線路が少し高台を通っているのですが、津波の威力はすさまじく、橋桁ごと押し流してしまいました。
ちょっと天気が残念ですが、晴れていれば絶景が見られる区間ですね。
三陸鉄道リアス線 乗車記(浪板海岸→宮古)
11時36分、岩手船越駅に到着。晴れていればこのあたりで途中下車でも、と思っていましたが、かなりの雨だったために、そのまま乗りとおすことにしました。
岩手船越駅は船越湾と山田湾の間にある船越半島の付け根にあります。そのため、津波の被害を受けることはありませんでした。
ちなみに、岩手船越駅は、本州最東端の駅だそうです。
織笠駅に到着。織笠駅は、山田湾に面した立地のため、津波により駅舎が流失。一つ手前の岩手船越駅がほぼ無傷だったのに対して、ちょっとした地形の違いで大きく被害の状況が違うのに驚きます。
織笠駅は、復旧にあたって、次の陸中山田駅のほうに約1kmほど移転しました。
11時45分、この区間の中心駅、陸中山田駅に到着。「山田線」の路線名の由来になった山田町にあります。いまや、JR山田線は盛岡~宮古のみとなり、山田町を通らない山田線になってしまいました。
陸中山田駅も、山田湾に面しているため、大きな被害を受けました。津波だけでなく、その後の火災による被害も大きく、駅舎と構内が全て焼失しました。
新しい陸中山田駅は、被災前と同じく、2面2線の駅となっていました。
陸中山田駅を出ると、海岸線から離れて、少し内陸部を走ります。車窓には田んぼや畑が見えるようになってきました。
豊間根(とよまね)、払川(はらいがわ)と停車して、12時09分に津軽石(つがるいし)駅に到着。
津軽石駅は、宮古湾へと流れる津軽石川の河口近くにあります。そのため、津波の被害を受け、停車していた気動車2両(キハ100形)が脱線、被災しました。幸いにも、乗客乗員は避難したあとだったため無事だったそうです。
2019年3月の復旧と同時に開業した八木沢・宮古短大駅、磯鶏駅と停車。
12時24分、釜石駅から約1時間半で、終点の宮古駅に到着しました。
これまで、JR東日本の駅舎と、三陸鉄道の駅舎が分かれていた宮古駅ですが、釜石~宮古間の三陸鉄道への移管に伴って、旧JR東日本の駅舎に統合されました。現在は、三陸鉄道が管理しているようです。
復旧した旧山田線区間を乗りとおして
ということで、雨だったため、途中下車もせず、ただ乗りとおしただけでしたが、かつての山田線時代を思い出しながら、津波被害から復旧した各駅の様子を車内から眺めることができました。
各駅ともに、コンパクトながら新しい駅舎やホームに建て替えられていて、8年間も不通だったことを考えると、新しい路線が誕生したような印象を受けました。レールや枕木も多くの区間で取り換えられていて、古い木の枕木から、コンクリートのPC枕木になっています。
とはいえ、沿線、特に湾に面した地域では、大型の重機が並び、堤防工事や土地の造成工事もまだまだ道半ばといったところ。
釜石と宮古という、岩手県沿岸の2大都市を結ぶ鉄道が復旧したことで、復興に弾みがつくことを願わずにはいられません。
以上、「【三陸鉄道リアス線 釜石~宮古乗車記】 2019年3月に震災から復旧、運転再開した旧山田線区間に乗車!」でした。新しい設備に新しい車両が走る三陸鉄道リアス線ですが、それとは対照的に、いまだに復興の工事が続く地区も多いのを目の当たりにしました。三陸鉄道が三陸地域の復興をけん引してくれることを期待したいです。
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2019年1月、今回乗車した釜石~宮古間が復旧する前に、当時の「三陸鉄道 南リアス線」(盛~釜石)に乗車したときの乗車記です。
当ブログで紹介している乗車記の目次ページです。
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